INTEC TIS INTEC Group

株式会社インテック RECRUITING 2019

PERSON インテックの人 特別な才能はないかもしれない。でも、やり遂げる覚悟ならある。

御堂筋線沿いで働く社会人をぼんやり夢見て。

立派な志なんか持たない学生でした。就職活動のモノサシもお恥ずかしながらいい加減。大阪の御堂筋線沿いに勤めたいと思って、心斎橋から順番に上に登りながら受けていったんです。なぜ御堂筋かって、なんだか社会人っぽいじゃないですか(笑)。ゼミでプログラミングを若干かじっていて、新しいものも好きだったので、ITには興味がありました。そして、縁あってインテックへ。当初は技術職として採用されました。入社1年目の秋にさっそく転機がありました。上司に呼ばれて、「明日から営業の支援をせえ」と言われたんです。内心、ばれたなと思いました。同期の3人と比べて自分がプログラミングで劣っているのはわかっていましたから。しかし、よいチャンスをいただいた。部長と課長と一緒に仕事ができる。仕事に取り組む姿勢、営業の仕方、いろいろなことを学べる。ラッキーだと思いました。もちろん、新人ですから最初は資料づくりのお手伝いからスタート。しかし、楽しかったですね。いろいろなお客さまの課題を聞き、提案する。正直、自分ではできるかどうかわからないことも、前のめりで提案しまくりました。おかげで度胸はついたと思います。時は1992年、バブルが弾けて仕事が激減した頃でした。

インテックの歴史に残る大失敗。その渦中で。

こんなところで堂々と語れる話ではないのですが、忘れられない案件があります。2006年、あるお客さまの基幹システム再構築プロジェクトのことです。多くの来場者がある施設を持つお客さまで、予算総額も私のこれまでの担当案件の比ではないくらい大きなものだった。私の役割はプロジェクトマネージャー。ところが、大きなトラブルがいくつも発生してしまい、大きな赤字を出してしまう危機に。入社14年目の私も、責任感から一人で業務を抱え込んでしまいパンク状態。心身ともにどんどん孤独に。そんな状況を上司が察してくれて、優先的にメンバーを割りあててくれたり手厚いフォローをしてくださった。眠れない日々が2年は続いたと思います。その間、どれだけの人の優しさと思いやりに触れたことか。仕事は一人でやっているわけではない。痛いほど身にしみました。会長まで心配して声をかけてくれました。「大変だと思うが、最後までがんばれよ」と。いろいろな人に助けていただいたご恩は絶対に忘れない。そう心に誓いました。

入社19年目にして、営業職に初挑戦。

東日本大震災が起きた翌週のことでした。突然、営業に異動だと言われました。これまでもお客さまと直接向き合って提案してきたつもりでした。それが、純粋な営業という立場になり、世界がガラリと一変。お客さまからの「インテックさんどう思う?」という質問に対する回答は、そのまま会社の回答になる。これまでも会社を代表しているつもりだったが、それはあくまで技術者としての回答。アドバイス程度の回答ではいけない。会社としての回答には、会社を背負うという責任の重さが付随する。やってみて初めて気づきました。しかも、受注に対する執念、お客さまへの密着度。今の私の力では、全然足りないことを痛感しました。しかし、ここでくよくよ悩まないところが私のいいところ。だったら、成長すればいい。新しいことに挑む。ワクワクすることばかりじゃないか。自分よりもずっと若い後輩にいろいろなことを教えてもらいながら、私は営業としてのキャリアをスタートさせました。

ワクワクする未来が、目の前にあるというやりがい。

インテックは、いま新しいサービスが次々と生まれています。たとえば、2017年7月に提供開始した、統合データ活用サービス ARQLID(アークリッド)。ビッグデータ、IoT、AI技術すべてを盛り込んだサービスで、データの活用によってビジネス変革を行うことを支援しています。他にもEINS WAVEという自社のデータセンターをからめたクラウドの基盤サービス。ある時は自治体へ。ある時は鉄道会社へ。毎日いろいろなところを飛び回っています。いつか、事業として一つの柱になれるように、可能性の卵たちを大切に育てていきたいと思っています。入社してから現在までを振り返って思うことは、諦めにくくなったなということ。美術部に入っていたくらいですから、根は文化系の人間。でも、いろいろな経験をして、いろいろな人に助けてもらって、鍛えてもらってきた。おまけに、入社26年目になってもこうしてワクワクしている。御堂筋線沿いに勤められたらええなと思っていた当時の自分に教えてあげたいですね。働くって、なかなかええもんやでと。

社会システムソリューション推進部長 砂古口 昌男

PROFILE

1992年入社。趣味はドライブ。高校時代、美術部に在籍し絵を描いていたこともあり、社内で発行される本の挿絵を頼まれることも。今一番行ってみたい場所は、信州「上田城」。大阪の陣で活躍した真田幸村の居城で未だ訪れたことがない。先日もドライブで真田幸村ゆかりの地、和歌山の九度山までドライブ。家に帰れば、2人の息子の父親でもある。

CAREER

入社1年目
部長と課長と一緒に営業に回りながら、勉強する日々。数を経験することで、資料づくりの要点をつかむのが上手になった。
入社14年目
ビッグプロジェクトでトラブル発生。プロジェクトマネージャーとして奮闘する。全社を挙げてのサポートを受け、仲間のありがたさを実感。
入社19年目
営業部門に異動。未来をつくるインテックの新サービスを広めるために、奮闘する毎日。

INTEC TIS INTEC Group

CLOSE

株式会社インテック RECRUITING 2019

40's 社会システムソリューション推進部長 砂古口 昌男

特別な才能はないかもしれない。でも、やり遂げる覚悟ならある。

御堂筋線沿いで働く社会人をぼんやり夢見て。

立派な志なんか持たない学生でした。就職活動のモノサシもお恥ずかしながらいい加減。大阪の御堂筋線沿いに勤めたいと思って、心斎橋から順番に上に登りながら受けていったんです。なぜ御堂筋かって、なんだか社会人っぽいじゃないですか(笑)。ゼミでプログラミングを若干かじっていて、新しいものも好きだったので、ITには興味がありました。そして、縁あってインテックへ。当初は技術職として採用されました。入社1年目の秋にさっそく転機がありました。上司に呼ばれて、「明日から営業の支援をせえ」と言われたんです。内心、ばれたなと思いました。同期の3人と比べて自分がプログラミングで劣っているのはわかっていましたから。しかし、よいチャンスをいただいた。部長と課長と一緒に仕事ができる。仕事に取り組む姿勢、営業の仕方、いろいろなことを学べる。ラッキーだと思いました。もちろん、新人ですから最初は資料づくりのお手伝いからスタート。しかし、楽しかったですね。いろいろなお客さまの課題を聞き、提案する。正直、自分ではできるかどうかわからないことも、前のめりで提案しまくりました。おかげで度胸はついたと思います。時は1992年、バブルが弾けて仕事が激減した頃でした。

インテックの歴史に残る大失敗。その渦中で。

こんなところで堂々と語れる話ではないのですが、忘れられない案件があります。2006年、あるお客さまの基幹システム再構築プロジェクトのことです。多くの来場者がある施設を持つお客さまで、予算総額も私のこれまでの担当案件の比ではないくらい大きなものだった。私の役割はプロジェクトマネージャー。ところが、大きなトラブルがいくつも発生してしまい、大きな赤字を出してしまう危機に。入社14年目の私も、責任感から一人で業務を抱え込んでしまいパンク状態。心身ともにどんどん孤独に。そんな状況を上司が察してくれて、優先的にメンバーを割りあててくれたり手厚いフォローをしてくださった。眠れない日々が2年は続いたと思います。その間、どれだけの人の優しさと思いやりに触れたことか。仕事は一人でやっているわけではない。痛いほど身にしみました。会長まで心配して声をかけてくれました。「大変だと思うが、最後までがんばれよ」と。いろいろな人に助けていただいたご恩は絶対に忘れない。そう心に誓いました。

入社19年目にして、営業職に初挑戦。

東日本大震災が起きた翌週のことでした。突然、営業に異動だと言われました。これまでもお客さまと直接向き合って提案してきたつもりでした。それが、純粋な営業という立場になり、世界がガラリと一変。お客さまからの「インテックさんどう思う?」という質問に対する回答は、そのまま会社の回答になる。これまでも会社を代表しているつもりだったが、それはあくまで技術者としての回答。アドバイス程度の回答ではいけない。会社としての回答には、会社を背負うという責任の重さが付随する。やってみて初めて気づきました。しかも、受注に対する執念、お客さまへの密着度。今の私の力では、全然足りないことを痛感しました。しかし、ここでくよくよ悩まないところが私のいいところ。だったら、成長すればいい。新しいことに挑む。ワクワクすることばかりじゃないか。自分よりもずっと若い後輩にいろいろなことを教えてもらいながら、私は営業としてのキャリアをスタートさせました。

ワクワクする未来が、目の前にあるというやりがい。

インテックは、いま新しいサービスが次々と生まれています。たとえば、2017年7月に提供開始した、統合データ活用サービス ARQLID(アークリッド)。ビッグデータ、IoT、AI技術すべてを盛り込んだサービスで、データの活用によってビジネス変革を行うことを支援しています。他にもEINS WAVEという自社のデータセンターをからめたクラウドの基盤サービス。ある時は自治体へ。ある時は鉄道会社へ。毎日いろいろなところを飛び回っています。いつか、事業として一つの柱になれるように、可能性の卵たちを大切に育てていきたいと思っています。入社してから現在までを振り返って思うことは、諦めにくくなったなということ。美術部に入っていたくらいですから、根は文化系の人間。でも、いろいろな経験をして、いろいろな人に助けてもらって、鍛えてもらってきた。おまけに、入社26年目になってもこうしてワクワクしている。御堂筋線沿いに勤められたらええなと思っていた当時の自分に教えてあげたいですね。働くって、なかなかええもんやでと。

1992年入社。趣味はドライブ。高校時代、美術部に在籍し絵を描いていたこともあり、社内で発行される本の挿絵を頼まれることも。今一番行ってみたい場所は、信州「上田城」。大阪の陣で活躍した真田幸村の居城で未だ訪れたことがない。先日もドライブで真田幸村ゆかりの地、和歌山の九度山までドライブ。家に帰れば、2人の息子の父親でもある。

入社1年目
部長と課長と一緒に営業に回りながら、勉強する日々。数を経験することで、資料づくりの要点をつかむのが上手になった。
入社14年目
ビッグプロジェクトでトラブル発生。プロジェクトマネージャーとして奮闘する。全社を挙げてのサポートを受け、仲間のありがたさを実感。
入社19年目
営業部門に異動。未来をつくるインテックの新サービスを広めるために、奮闘する毎日。