INTEC TIS INTEC Group

株式会社インテック RECRUITING 2019

PERSON インテックの人 絶対にあきらめなかった。最高のチームに、乾杯。

フランス文学専攻。就職する気もなかったが、できる気もしなかった。

普通のサラリーマンになる気はなかった。夢物語的な話だが、ミュージシャンになるか、大学院で勉強するか。普通の会社員なんかやれる気がしなかったので、そんなことばかり考えていた。フランス文学専攻の男が、普通の企業に就職できるなんて思わなかったのだ。そんなある日、雑誌で気になる記事を見つけた。当時のアップルコンピュータのコラムだった。未知の存在に心惹かれた。気になってしょうがなくなって、日本製のものなら手が出そうだと、NECのPC-8001という8ビットのパソコンを買ったりした。コマンドを打って線を描いてみたりした。なるほど、こういうものなのか。コンピュータだったら、社会に触れなくても生きていけるかもしれない。そんな気持ちで、就職活動へ。そして、就職情報雑誌をパッと開いて出てきた会社がインテック。僕は富山出身。インテックも富山出身というところで小さな共通点も見つけた。1985年、僕はインテックに入社した。

深夜12時過ぎ。お客さまのあたたかい心に触れて。

入社3年目、僕はお客さま先でシステム開発をしていた。しかし、隣のプロジェクトが大変な様子で、こちらのチームから人がどんどん移っていく。最後まで残ったのは私と新人の2名。経験の浅い若手2人なので、なかなかうまくいかない。お客さまに助けてもらいながら、なんとか納品。新宿でお酒を飲みながら、お客さまからねぎらいの言葉をいただきました。「よくやってくれた。ありがとう」と。嬉しかったですね。ほろ酔い気分で、お客さまと一緒に終電に乗った。つり革を持ちながら、再び話が盛り上がってしまい、気づいたら乗り換え駅を通過。しまった、帰れない!そんな時、お客さまが言ってくださった。うちにおいでよと。深夜12時を回っていたのに、奥さまも待っていてくれて、再びビールで乾杯。語り明かしました。3年目の若造に、ここまでしてくれるなんて。お客さまのあたたかい心に触れて、僕は小さな自信をもらった。

お客さまとは誰なのか。よく考えてみよう。

迷って立ち止まるよりも、「えい、行ってしまえ!」と前に進んでしまうタイプの人間です。ですから、決してスマートではありませんでしたが、おかげでいろんな経験ができました。ある大手電機メーカーのプロジェクトは、お客さまと二人三脚で歩んだ濃い5年間でした。お客さまは何を考え、何を望んでいるのか。僕らがすべきことは何なのか。大事なことはすべてお客さまから教えてもらったように思います。そして、次に異動したのが現在の公共ソリューション事業本部。お客さまの組織の雰囲気も違えば、ルールも文化も違う。仕事も入札で決まる。そんな環境に、当初は戸惑いを覚え、メンバーも同じなのかなと思いました。そんな時、メンバーに伝えていたことが、「お客さまは誰なのか考えよう」ということでした。公共の仕事をするとはどういうことなのか。僕らの仕事は、公共のサービスを通じて、最終的には国民につながっている。僕たちは国の税金をいただいて、国民のためにサービスをしているんだよと。迷ったらそこに立ち帰ろうよと。これはメンバーに伝えつつも、自分自身への言葉でもあったように思います。

部長職、返上。プロジェクトマネージャー、復帰。

2010年の夏でした。電子届出システム開発の案件で問題発生。雲行きがあやしくなり、状況はどんどん悪化。全社的な会議でも重要課題としてあげられるように。担当取締役、本部長以下、関係者数名で話し合うものの、いい答えが出ない。そこで言いました。プロジェクトマネージャーやりますと。部長職を外してもらい、すぐに新体制に。部長職を放り出すような後ろめたさもありましたから、そんなに格好のいいものではありませんでしたが、やるしかない。そんな現状でした。一からの立て直し。会社にいちばん早く出社して、指示をまとめて、みんなが出社したら伝達。ピーク時は180人くらい稼働したと思います。ようやく収束したのが2011年9月。僕自身は、何か特別なことをしたわけではありません。とにかく、みんなの士気を高めること。それだけです。頑張ったのはメンバーたち。ハードなミッションをこなすみんなの姿は頼もしかった。打ち上げもすごかったですよ。何十人と集まる大宴会。派手に飲み明かしました。嬉しかったし、楽しかったですね。僕は、自分がこうなりたいとか、自分のビジョンはあまりないんです。それよりも、部下が活躍したり、成長することに興味がある。インテックには優秀な人たちがたくさんいます。これからの会社を背負ってく貴重な人材たち。僕にできることは限られているかもしれませんが、自分自身を成長させながら、すべてを尽くしたいと思っています。

公共ソリューション事業本部 森田 久志

PROFILE

1985年入社。趣味は、ジョギングとF1観戦。F1はレースだけではなく本番まで持っていくためにチームが奮闘するプロセスも含めて好き。一人ひとりがそれぞれの役割を全うし、一つのチームとして戦うという醍醐味が好きなのは、仕事も趣味も同じかもしれない。四半期に一度は、社内のメンバーたちと一緒に、昼酒ツアーに出かける。お酒を飲みながら語り合う時間は、仕事の活力になっている。

PROFILE

入社3年目
お客さまに感謝の言葉をいただき、お客さまの立場になって考えるということを意識しはじめるようになる。
入社16年目
大手電機メーカーのシステム開発のプロジェクトチームのリーダーを担当。プロジェクトが成長し、のちに一つの事業部ができるきっかけに。
入社21年目
人事異動で担当を外れることになったが、お客さまから引き止められる。半年間かけて業務を引き継いだあとに、新設部所の部長に。
入社25年目
公共ソリューション部の部長に。民間企業との仕事の違いに戸惑いながらもメンバーとともに奮闘。
入社26年目
部所内のビックプロジェクトで問題発生。一時的に部長職をはずしてもらい、プロジェクトマネージャー復帰。翌年、無事に納品することができ、部長職に戻る。
入社32年目
公共ソリューション事業本部 本部長付(特命担当)に。新たなプロジェクトを手がける日々を送る。

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株式会社インテック RECRUITING 2019

50's 公共ソリューション事業本部 森田 久志

絶対にあきらめなかった。最高のチームに、乾杯。

フランス文学専攻。就職する気もなかったが、できる気もしなかった。

普通のサラリーマンになる気はなかった。夢物語的な話だが、ミュージシャンになるか、大学院で勉強するか。普通の会社員なんかやれる気がしなかったので、そんなことばかり考えていた。フランス文学専攻の男が、普通の企業に就職できるなんて思わなかったのだ。そんなある日、雑誌で気になる記事を見つけた。当時のアップルコンピュータのコラムだった。未知の存在に心惹かれた。気になってしょうがなくなって、日本製のものなら手が出そうだと、NECのPC-8001という8ビットのパソコンを買ったりした。コマンドを打って線を描いてみたりした。なるほど、こういうものなのか。コンピュータだったら、社会に触れなくても生きていけるかもしれない。そんな気持ちで、就職活動へ。そして、就職情報雑誌をパッと開いて出てきた会社がインテック。僕は富山出身。インテックも富山出身というところで小さな共通点も見つけた。1985年、僕はインテックに入社した。

深夜12時過ぎ。お客さまのあたたかい心に触れて。

入社3年目、僕はお客さま先でシステム開発をしていた。しかし、隣のプロジェクトが大変な様子で、こちらのチームから人がどんどん移っていく。最後まで残ったのは私と新人の2名。経験の浅い若手2人なので、なかなかうまくいかない。お客さまに助けてもらいながら、なんとか納品。新宿でお酒を飲みながら、お客さまからねぎらいの言葉をいただきました。「よくやってくれた。ありがとう」と。嬉しかったですね。ほろ酔い気分で、お客さまと一緒に終電に乗った。つり革を持ちながら、再び話が盛り上がってしまい、気づいたら乗り換え駅を通過。しまった、帰れない!そんな時、お客さまが言ってくださった。うちにおいでよと。深夜12時を回っていたのに、奥さまも待っていてくれて、再びビールで乾杯。語り明かしました。3年目の若造に、ここまでしてくれるなんて。お客さまのあたたかい心に触れて、僕は小さな自信をもらった。

お客さまとは誰なのか。よく考えてみよう。

迷って立ち止まるよりも、「えい、行ってしまえ!」と前に進んでしまうタイプの人間です。ですから、決してスマートではありませんでしたが、おかげでいろんな経験ができました。ある大手電機メーカーのプロジェクトは、お客さまと二人三脚で歩んだ濃い5年間でした。お客さまは何を考え、何を望んでいるのか。僕らがすべきことは何なのか。大事なことはすべてお客さまから教えてもらったように思います。そして、次に異動したのが現在の公共ソリューション事業本部。お客さまの組織の雰囲気も違えば、ルールも文化も違う。仕事も入札で決まる。そんな環境に、当初は戸惑いを覚え、メンバーも同じなのかなと思いました。そんな時、メンバーに伝えていたことが、「お客さまは誰なのか考えよう」ということでした。公共の仕事をするとはどういうことなのか。僕らの仕事は、公共のサービスを通じて、最終的には国民につながっている。僕たちは国の税金をいただいて、国民のためにサービスをしているんだよと。迷ったらそこに立ち帰ろうよと。これはメンバーに伝えつつも、自分自身への言葉でもあったように思います。

部長職、返上。プロジェクトマネージャー、復帰。

2010年の夏でした。電子届出システム開発の案件で問題発生。雲行きがあやしくなり、状況はどんどん悪化。全社的な会議でも重要課題としてあげられるように。担当取締役、本部長以下、関係者数名で話し合うものの、いい答えが出ない。そこで言いました。プロジェクトマネージャーやりますと。部長職を外してもらい、すぐに新体制に。部長職を放り出すような後ろめたさもありましたから、そんなに格好のいいものではありませんでしたが、やるしかない。そんな現状でした。一からの立て直し。会社にいちばん早く出社して、指示をまとめて、みんなが出社したら伝達。ピーク時は180人くらい稼働したと思います。ようやく収束したのが2011年9月。僕自身は、何か特別なことをしたわけではありません。とにかく、みんなの士気を高めること。それだけです。頑張ったのはメンバーたち。ハードなミッションをこなすみんなの姿は頼もしかった。打ち上げもすごかったですよ。何十人と集まる大宴会。派手に飲み明かしました。嬉しかったし、楽しかったですね。僕は、自分がこうなりたいとか、自分のビジョンはあまりないんです。それよりも、部下が活躍したり、成長することに興味がある。インテックには優秀な人たちがたくさんいます。これからの会社を背負ってく貴重な人材たち。僕にできることは限られているかもしれませんが、自分自身を成長させながら、すべてを尽くしたいと思っています。

1985年入社。趣味は、ジョギングとF1観戦。F1はレースだけではなく本番まで持っていくためにチームが奮闘するプロセスも含めて好き。一人ひとりがそれぞれの役割を全うし、一つのチームとして戦うという醍醐味が好きなのは、仕事も趣味も同じかもしれない。四半期に一度は、社内のメンバーたちと一緒に、昼酒ツアーに出かける。お酒を飲みながら語り合う時間は、仕事の活力になっている。

入社3年目
お客さまに感謝の言葉をいただき、お客さまの立場になって考えるということを意識しはじめるようになる。
入社16年目
大手電機メーカーのシステム開発のプロジェクトチームのリーダーを担当。プロジェクトが成長し、のちに一つの事業部ができるきっかけに。
入社21年目
人事異動で担当を外れることになったが、お客さまから引き止められる。半年間かけて業務を引き継いだあとに、新設部所の部長に。
入社25年目
公共ソリューション部の部長に。民間企業との仕事の違いに戸惑いながらもメンバーとともに奮闘。
入社26年目
部所内のビックプロジェクトで問題発生。一時的に部長職をはずしてもらい、プロジェクトマネージャー復帰。翌年、無事に納品することができ、部長職に戻る。
入社32年目
公共ソリューション事業本部 本部長付(特命担当)に。新たなプロジェクトを手がける日々を送る。